エルネスト・ショーソン(ショソン、Ernest Chausson, 1855年1月20日 – 1899年6月10日)はフランスの作曲家。
パリ出身。はじめは法律を学んでいたが、24歳でパリ音楽院に入り、マスネ、セザール・フランクに作曲を学ぶ。しかし一年で退学し、その後はフランクに私淑する一方でバイロイトにしばしば行き、ワーグナーの影響を強く受ける。
1886年にサン=サーンスが組織したフランス国民音楽協会に参加したため作曲のペースは落ちたが、細々と作曲を続けた。パリ郊外のイヴリーヌ県リメーの別荘で自転車事故により44歳で死去し、ペール・ラシェーズ墓地に埋葬された。彼の死により作曲中だった「弦楽四重奏曲」は全4楽章中3楽章の途中までの未完の絶筆となり、友人のヴァンサン・ダンディが補筆・出版した。
交響曲、室内楽、歌曲、歌劇など幅広い分野での作曲を手がけた。41歳(1896年)のときに作曲したヴァイオリンと管弦楽のための「詩曲 」が群を抜いて有名だが、「交響曲 変ロ長調 」や「愛と海の詩」、「コンセール」も頻度は少ないものの演奏機会がある。